第5回バイオインダストリー大賞受賞者インタビュー

大賞・奨励賞

更新日:2021年12月14日

17_award_logomark-thumb-151x205-2626.jpg 2017年に創設された「バイオインダストリー大賞」、「バイオインダストリー奨励賞」は、今年で第5回を迎えた。
6月に選考委員会が開催され、大賞には冨田勝氏(慶應義塾大学 先端生命科学研究所 所長、環境情報学部 教授)の「システムバイオロジーの先駆的研究とその産業化による地域振興とその産業化による地域振興」の業績が選ばれ、奨励賞には12名の若手研究者が選出された。また、今回、石原一彦氏(東京大学 名誉教授 /大阪大学大学院工学研究科 特任教授)の「バイオミメティック生体親和型ポリマーの創発・工業化と医療応用」の業績に対して、「バイオインダストリー大賞 特別賞」の授与を決定した。
大賞受賞の冨田先生に、受賞に至った業績の背景や苦労、研究と創薬への想い、今後の方向性等について、オンライン形式でのインタビューでお話をうかがった。

冨田 勝 氏(慶應義塾大学)

「異端妄説からはじまるイノベーション」

◆この度のバイオインダストリー大賞受賞、おめでとうございます。一言ご感想をお願いします。

冨田:この度、第5回バイオインダストリー大賞を受賞したこと、とても光栄に思います。研究成果だけでなく、産業化と地方振興を評価していただいたわけですが、慶應大学の研究所を山形県鶴岡にオープンして以来20年間、変わらず支援・応援してくださっている鶴岡市と山形県に対して、少しは恩返しができて嬉しいです。

◇1ギガバイトの知的システムへの人工知能研究の応用

◆最初は人工知能の研究をされていたとお聞きしましたが、バイオの世界に入られたきっかけは何だったのでしょうか?

冨田:1980年代、インベーダーゲームからコンピュータの道にはまって、アメリカに留学して人工知能、音声認識や自動翻訳の研究をやっていました。それら個別技術の進歩はめざましいものがあったものの、本当の意味での"人工知能"には少しも近づいておらず、自分が生きている間には『鉄腕アトム』のような自律的なロボットなどできないだろうと閉塞感を持っていました。しかし自然界では、AI研究者が100年かかってもできないだろうと思えるヒトという知的システムが、1個の受精細胞から分裂を繰り返すことによって半自動的にでき上がるわけです。そしてその設計図はわずか30億文字、1ギガバイトなのです。こんなすごいことが現実に起きているのに、そこを研究することなしに、1から人間の知能をつくるというのはアプローチとして違うのではないかと思ったのです。
 そのころ、ヒトゲノムプロジェクトの記事が1989年くらいから新聞に出るようになり、国際コンソーシアムで人間の30億塩基対を全部読むという計画があることを知りました。
 そこで、「自然言語解析」という人間の言葉を理解する技術を、ゲノムの30億文字の意味を理解するために使えるのではないかと考え、学生時代嫌いだった生物学を一から学びなおそうと決意しました。アメリカでコンピューターサイエンスの助教授をしながら、生物学部の大学1年生の生物科目を試しに履修してみたところ、これが面白かった。30代半ばの先生が1回目の授業で、「生物とは多様で複雑で例外だらけのように見えるけれども、本質的なところはみんな共通だ」と言われ、そういう視点で勉強してみたら、「生命は本当によくできている」と感銘を受け、暗記科目として嫌いだった生物学が面白くなりました。その後も、日本に戻り、新しくできた慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで環境情報学部の助教授として情報処理の授業を担当しながら、1994年から慶應義塾大学医学部分子生物学教室の博士課程大学院生を兼務して分子生物学を学び、ゲノム配列のコンピュータ解析を始めたのが私の本格的なバイオサイエンスへの入り口となりました。

◇賛否両論あってもあくの強いコンセプトの研究所を鶴岡で

◆山形県鶴岡での研究所の研究内容はどのようにして決められたのでしょうか?

冨田:2001年4月鶴岡の研究所オープン半年前の夏頃、当時42歳だった私が所長に任命され、「研究内容も採用人事も研究所の名前もゼロベースで考えるように」と常任理事から(良い意味で)丸投げの状態で始まりました。そこで、どうせなら賛否両論あっても良いので、普通ではないコンセプトの研究所にしようと考え、当時は珍しかった、IT×バイオの「データドリブン・システムバイオロジー」を看板にしました。「データドリブン」というのは仮説なしに取れるデータを全部取り、そのビッグデータからコンピュータを使って仮説を見つけるわけですから、当時主流の「仮説検証型」の正反対です。「そんなのは生物学ではない」と偉い先生から批判もありました。でも面白そうだからといって来てくれた人と、最初は十数人でスタートしました。あれから20年、今は世界的にも生物学のかなりの部分がデータドリブンとなりました。オミックスバイオロジーというものですね。
 鶴岡でやってみて感じたことは、研究や学問、芸術などクリエイティブな仕事は、大都会でなく自然豊かなところでやる方が良いということです。実際に欧米先進国の大学や研究所は田舎町にあります。英国のオックスフォードもケンブリッジも田舎町ですし、米国のシリコンバレーやイェール大学があるニューヘブンも何の変哲もない地方都市です。アイデアを出したりすることが重要な仕事は、人がいっぱいいる大都会よりも、ちょっとリラックスできる場所の方がモチベーションがあがると思います。

◆賛否両論でスタートした研究所で苦労されたのはどんなことでしょうか?

冨田:最初は研究者をリクルートするのに苦労しました。東京の人は東京から出たがりません。慶應義塾大学の新しい研究所というものには興味を示していただけるのですが、場所が山形県となると引いてしまうのです。鶴岡は首都圏から通えませんので、引っ越してこなければならず、人生の大きな決断をしなければなりません。しかしそのハードルが適度なスクリーニングになり、中途半端な気持ちの人は排除され、やる気満々な人たちだけでスタートできたのです。微生物の研究者、タンパク質の研究者、RNAの研究者、分析科学の研究者、バイオインフォマティクスの研究者などを探すために、学会などに行って、この人ならいいなという人にその場で名刺交換をして、アポを取ったりということを体当たりでしました。
 でも人を集めるのに苦労したのは最初の6年だけで、2007年に世界初の大規模マルチオミックス論文がサイエンス誌に掲載されて注目論文としてハイライトされると、それ以降は「データドリブン・バイオロジー」をやりたいという研究者が増えてきましたし、2013年にヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ(株)が上場したり、Spiber(株)が人工のクモの糸で作った青いドレスを発表したり、「鶴岡が面白くなっている」ということで、いろいろな人が国内外からこぞって来てくれるようになりました。

◇本当のブレークスルーははじめホラに聞こえる

◆多くの業績をあげられている冨田先生がイノベーションを興すうえで常に心掛けておられることはどんなことでしょうか?

冨田:福澤諭吉の言葉に「異端妄説の(そしり)を恐るることなく、勇を振て我思う所の説を吐くべし」とあります。私なりに現代語訳すると、「流行りや権威に迎合して点数を稼ぐ優等生ではなく、批判や失敗を恐れず勇気をもって人のやらないことをやれ」ということです。そのスピリッツは20年間本当に大切にしてきましたし、私たちの研究所のスローガンが「普通は0点」、つまり平凡な研究計画は全否定(0点)なのです。イノベーションは異端妄説から始まるわけです。皆が良いというようなものはもう誰かがやっているか、ブレークスルーとまではいえないのではないかと思います。やはり、「それはないだろう」「無理だろう」などと多くの人がいっているからこそ、「えっ、まさか?」みたいなことになりブレークスルーになる。100人中100人が否定するようなことは考え直したほうがいいかもしれませんが、100人中90人が否定するようなことは、「そうか、世の中の人はそう思っていない」ということでチャンスかもしれません。もちろん、失敗に終わる可能性は高いです。しかし、ベストを尽くして勝負に負けたのであれば、それを「ナイストライ!」と拍手喝采する文化が必要なのです。
 日本人のマインドとして、チャレンジしないとか、イノベーターが少ないとよくいわれますが、その大きな理由は、おそらくそれがうまくいかなかったときにバカにされる、会社だったら減点されるからです。日本社会は「減点が少ない人」が出世するといわれますが、そうではなくて「得点の多い人」が出世するような社会にしていくべきだと思います。

◆若い研究者などがブレークスルーをしていくために心掛けるべきことはどんなことがあるでしょうか?

冨田:研究テーマは自分で考えるということです。教授がテーマを決めて手取り足取りの指導をすると、「やらされ感」が出てしまいますが、自分で考えて、「こういう研究をやりたい」と提案するプロセスを経れば、研究活動が面白くなります。サイエンスの原動力は好奇心です。基本は面白いから研究するのです。何回かは行き詰まったり壁に当たったりするでしょうね。でも自分で決めたテーマであれば、悔しいからなんとか頑張って、ブレークスルーにつながるのです。「研究」は「開発」とは違い、納期など明確に設定せず試行錯誤を繰り返し、そのデータを見て次の目標を設定し、そしてその結果を見て、どっちの道に進むかを決めていく、その過程がとても面白く、また研究者を成長させるのです。

◇鶴岡を地方から日本再生をするモデルの先頭に

◆今後の活動の方向性について教えて下さい。

冨田:鶴岡は人口13万人の人口減少傾向の典型的な地方都市です。地方都市を活性化するには、企業や工場を誘致するのではなくて、産業をゼロから作ることが王道であり、日本のためにもなります。我が国はもはや新興国にコスト競争で勝てませんから、これから産業を立上げるのであれば、高くても売れる、ものすごく良いモノやサービスや技術を創ることが必須です。つまり知的産業です。知的産業の核となるべくして慶應義塾大学の研究所が誘致されたと理解しています。地元の子供たちに若いころからサイエンスの面白さを教えて、鶴岡でバイオを研究し、鶴岡のベンチャー企業に就職してもらう、我々の活動や街の魅力を伝えて国内外から人を呼び込む、そのようなことを最低30年続けて、本当の意味での地域振興となると思います。今後も、鶴岡での「先端的研究とその産業化による地域振興」で、地方から日本を再生するロールモデルでありたいと考えています。

◆バイオサイエンス、バイオインダストリーの未来はどのようなところへ向かっていくとお考えでしょうか?

冨田:私はバイオとコンピューターサイエンスを融合させて新しい科学領域を開拓してきました。今の時代、顔認証とか囲碁とか個別技術ではAIが人間を超えるものになってきましたが、一方で1960年代に描かれた『鉄腕アトム』はいまだ実現できていません。人が持つ感情、感動や意識の世界はまだまだ未解明の部分がほとんどで、生命がなぜ誕生し、ここまで進化できたのかということもわかっていません。この先、おそらく100年くらいかけてこの謎を解いていくのでしょう。140億年前にビックバンによって誕生した宇宙がそれ以前はどうであったのかを解き明かすのと同じくらい、生命科学は面白いものだと思います。この面白い世界の中で自分ならではのものを見つけてそれを徹底的にやってみると、きっと豊かな人生になると思います。

◇自分がやっていることが楽しくて仕方ない研究者に

◆最後に次世代を担う若手研究者にむけてメッセージをお願いします。

冨田:面白いと思うことを見つけてそれを徹底的にやるというチャレンジをして欲しいと思います。それは中高生でも、大学生でも、就職してからもそうです。やはり「自分ならではのもの」というものを一生かけて見つけて下さい。そして自分自身で研究成果を出すだけでなく、その研究に学生や後輩を巻き込んで面白さを伝えて下さい。学生や後輩にサイエンスの面白さを伝えるためには、まず自分が楽しんでいなければできません。それは単に研究のみならず、ワークライフバランスも含めてです。面白くて楽しい研究者がもっと増えれば、「ああいう人になりたい」と、子どもたちや若者の理科離れもなくなっていくと思います。

-若い人たちへの素晴らしいメッセージだと思います。今日は、本当にありがとうございました。

(聞き手=JBA広報部 大賞・奨励賞事務局)

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